フィヨルドツアー

 一泊3万円以上する市中のホテルにはそれなりに期待していたのだが、残念ながら日本の最近のビジネスホテルの方がしっかりしている感じだった。改めて物価の高さを思い知る。
 二日目の朝。「遅れたらおいてくで」という妹の宣告に、寝坊することを恐れてはいたが、余裕のある時刻に目覚めることができた。あまり広くもない部屋だが、僕は「新婚旅行らしい朝」を迎えるべく、冷蔵庫からシャンパンの小瓶を取り出す。昨日の到着時に空港の免税店で買っておいたものだ。朝食にシャンパン。
寝起きのシャンパン
 「寝起きで飲めるかいな」という顔をする妻を明るく説得し、乾杯。「さすがに何かお腹に入れないと…」と妻はさっそく妹が作ったフルーツケーキをアルミフォイルから取り出している。シャンパンとケーキで迎える、港べりに建つホテルの朝。
 指示された通りの道を進み、ホテルから20分ほど。なるほど、この規模でこの程度の人出なら、「駅のどこに集合」という細かい話が不要なわけだ。
ベルゲン駅
 飲み水を買った構内のコンビニでスタンドに並んでいた新聞の一面は、昨日の港付近の人出の写真だった。やはりそれだけのニュースバリューがある出来事だったのだ。夕食になかなかありつけなかったのも、僕らにしてみれば確かにちょっとした事件であった。
 妹とその友人一行も時間通りに到着し、対面になった座席を一組使って出発。この路線は、ずっとオスロまで続いてる。
ベルゲン鉄道
 出発するやすぐ山に分け入る感じだ。そしてすぐ隣に川のように沿っている静かな水は、やはりフィヨルド。水面は湖水のように滑らかだ。にわかにはこれが海だとは信じがたい。時折、本当の川が流れていることもあるが、その水底までくっきりと見通せる透明度は今まで見たことのあるどんな清流よりも美しかった。
 フィヨルドツアーとは聞いたものの、具体的に何がどうなっているのかはさっぱり知らない。妹に全部お任せ。
 「ツアー代、こっちでもつで」と妹に言っていたけれど「ええよ、せめてこれくらいは私からのプレゼント」ということで、いくらだったのかも定かでない。
 しかし、自分が海外に暮らしているから特に強く思うが、海外旅行で一番いいのは、「親しい知り合いのいる土地へ遊びに行くこと」だ。しかも住み始めて数ヶ月だとまだその相手も土地に慣れていないので、1年くらい経った後がちょうど良い。自身を振り返っても切にそう思う。
 さて、1時間少々と後に着いたのはヴォスという駅だった。すぐの山頂には雪がちらほら残っている。駅前に止まっているバスに乗り換えツアーは続く。この電車の乗客のほとんどはツアー客らしく、4、5台のバスに分乗する。知らない間に結構な標高に来ていた。途中、大型の観光バスではそのまま谷底に転落してしまうのではないかというほどに細く急な九十九折の下り道をゆっくり進む。山肌は垂直に近い角度で海面に没し、所々に流れ落ちる水が白く細い滝を成している。
 バスの到着地点はグドヴァンゲン。今度はフェリーに乗り換える。ソグネフィヨルドは世界一長いことで有名だが、そこから分岐しているネーロイフィヨルドとアウルランフィヨルドを進む。前者はユネスコの世界遺産でもある。
 船の行程があることは聞いていた。「飲みながら船旅するからワイン買っておくように」と妹に伝えた際、「ノルウェーは公共の場は飲酒禁止やねん」という事実を知らされた。だが、船内の売店にはちゃんと冷えたビールが売られていた。
ハンザビール
 他のメンバーがコーヒーを飲んだり、持ち込んだお菓子をを食べている横で(まるで遠足の様相だ)、一人だけビール。まだまだお昼前。
 何度もこのツアーを利用したことがある妹が用意周到なところを披露。「甲板からカモメにパンやりできるねん。スーパーで一番安いパン買っておいたから好きに使って」
 わずか数百メートルを隔てて左右から迫りくる、はるか見上げる絶壁の合間、静かな水面を行く船を追うカモメ。うまいこと空中でパンを捕まえるときもあれば、海中に落ちたのをくちばしですくうのもある。船の速度に合わせて飛びながら人の手から直接食べるというのは、彼らにとっても難しいようで、しばらく試みたがうまくいかなかった。
 妹が赤いの防寒着を一着持ってきていて「これLさん(妻)にどうぞ」と言ってくれた。そこまで寒いとは感じなかったのだが、妹に言わせれば「珍しいくらいに今日はあったかい」ようだ。
 そう言えば、丸一日ベルゲンの街を歩き回った昨日にしても、ずっと晴天で観光のためにはこの上ない天気だった。「ベルゲンは寒い。いつも雨ばっか」とぼやいていた妹だったが、この一両日、僕らは非常に運が良いようだ。
フィヨルド
 2時間ほどのゆっくりした航海。最後、フロム港の直前には、海面を跳ねるイルカも何頭か目撃。満足感の高い船旅だった。
 ここで昼食。ドライブインみたいな感じがする。土産物屋があって、レストランと言うよりも食堂のような店があって。ノルウェー料理として有名らしい、肉団子を食べてみる。今ひとつぼやけた味で、さして美味しくはない。買い物したくなるような土産物も見当たらない。
肉団子
 今度は、フロム鉄道でミュルダールまで。この鉄道、20kmの距離にトンネルが20もある。内の18本は手作業で掘られたのだそうだ。そしてそのわずか20kmの間に、海抜2mの港すぐの駅から、866mまでを駆け上がる。
フロム鉄道
 先ほどまで船から見上げていた急峻な山を鉄道で上っていく。途中、ショースの滝で停車する。これがまた、水の流れ落ち方がまさに瀑布という感じで迫力がある。全身を塗らすのは、細かい雨なのか、霧なのか、あるいは滝からの飛沫なのか判然としない。
ショースの滝
 と、唐突に音楽が流れ出す。聞いてはいたのだが、山に住む不思議な女性が青いドレスをまとって滝のそばに現れる。一人が姿を消したと思ったら、少し離れたさらに高い所にもう一人が入れ替わり登場。
 妹がおかしそうに言う。「ほら、すごいやろ。瞬間移動やで。超自然やなー」
 どうやら、セイレーンが演出されているらしい。昼に食べた肉団子と同じく、やりたいことは分かるけど何かすっぱ抜けているという感覚を覚える。
 終着駅のミュルダールですぐに再びベルゲン鉄道に乗り換え、ヴォスを経由してベルゲンまで戻る。この間は、どちらかというと眠っている時間の方が多かった。(と思ったら、僕と妹が通路を挟んだ座席でまったく同じように首を傾けて寝こけている写真を妻が撮っていた。「兄妹やなー、同じ格好や」と笑われた)
 ベルゲン駅に戻ってくると、ここでさらにもう一人待ち合わせ。やはり妹と同じ職場で働くタイ人のスタダーさん。
 雨上がりで、石畳もさっぱりとした街並みを歩きながら「スペイン料理でええやろ」と妹に連れられていく。昨日と同じ目には遭いたくないと思っていたが、やはり1軒目は席がなかった。また食事を求めて彷徨うのかと心配していたら、スタダーさんが「タパスだったら、もう一軒知ってる」ということで、一同またぞろぞろ歩く。
ベルゲンの街並み
 日本人4名。うちの一人はベルゲン在住、もう一人はバンコク(僕だ)。タイ人2名、内の一人はベルゲン在住。英語とタイ語と大阪弁が混じる、ノルウェーの街のスペイン料理屋の夜。
 大いに喋って、飲んで食べて、店を出たのが8時過ぎ。もちろん、まだまだ明るい。何も考えず別れの挨拶をして僕らは一行と離れる。これが間違いだった。だいたい、この店へどうやって歩いてきたかも分かっていないのに、いい気分のまま適当に20分ほど歩いてようやく道がが分からないことに気が付いた。手元の地図で探しても、僕らがいる通りの名前は見当たらない。
 夜とは言え太陽はまだまだ照っているから怖さはないが、それでも人気のないところは歩いていてもあまり気持ちの良いものではない。
 いったん先ほどのスペイン料理屋まで引き返し、妹に電話。教えてもらった方向を行くと、すぐに中心部だった。
 昨日も今日も、なんだかよく歩いた。


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