花の都

2008年8月13日

スカンジナビア航空2713便 13:00 トゥルク 13:35 コペンハーゲン
スカンジナビア航空2710便   15:20 コペンハーゲン 17:15 パリ(シャルルドゴール)

 古風な物言いになるけれど、「花の都パリ」への憧れ。イメージに気圧されて、「行くならば、ちゃんと行かなきゃならん」という変な観念を持っていた。事前の情報が豊富にあるから、しっかり学習した上である程度の取捨選択をしないと、その大きく立ちはだかる壁に、ぼんっと跳ね返されてしまうだけのような気がしていた。
 北欧プラス欧州中央部。ミュンヘン、ウィーン、プラハ、ブリュッセル、などなどの候補のうちから、移動の利便性から、最終的にパリを採ることにした。
 「いろいろ検討したんやけど、パリにしよっか」と僕。
 「うわっ! パリに行けるん! 夢みたいや」というのが妻の反応だった。やはり彼女にも思うところはあるらしい。
 それがパリなのであろう。人に夢を見させる街。
 僕だって同じようなことを思っていた。だから、今回の滞在でも、結局は一番長い時間を確保することにした。
 ガイドブックを見て、これだけは行っておきたい場所をピックアップしてみたけれど、それでも時間は全然足りなさそうで、今回はあくまで下調べという位置づけで考えることにした。
 一歩足を踏み入れたら、そこには刺激と興奮とが歴史として積み重なっていて、甘いお菓子や舌に弾けるシャンパンに、我が身はバラの霞に包まれたように、この街の虜になってしまうのではないだろうかと、恐れてさえいた。
 ああ、大学でフランス語を習っていて本当によかった。
 出発までの毎日、妻に向かってこう言っていた。
 「向こう着いたら、もう、すべて任せとけ。なんせ、第二外国語はフランス語やったんや。しかも普通の講座やない。一週間の内、授業が4日もある特別な集中講座を1年受講していたんや」「しかも僕が習っていた先生は、NHKのラジオ講座の講師もされていたんや」
 そして、「歩き方」の巻末の会話集を見ながら、それらしく発音してみせたりした。
 が、調子に乗った僕の化けの皮はすぐにはがれる。
 「○○○はフランス語で何て言うん?」との質問に対して、タイ語や時として日本語を、鼻にかかったように発音して、最後に一言「シィルヴ・プレ」と付け加えるだけが精一杯。
 朝の通勤の車の中で、毎日のように飽きもせず笑い転げていた。
 パリを選んだことについて、僕の妹からのコメントも、一風変わっていた。
 「兄ちゃん、パリでエッフェル塔に行ったら『ああ、ここがナディアとジャンが出会った場所か』って思えるで」
 中学生のころ毎週放送を楽しみにしていた、「ふしぎの海のナディア」というアニメーションにまつわる場所である。19世紀、パリ万博にやってきた発明少年ジャンが、サーカスの少女ナディアと運命的な出会いを果たすのが、ここエッフェル塔なのだ。

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宿を後に
 トゥルクの宿で軽い朝食をとって、呼んでもらったタクシーで空港へ。ムーミンの街を離れ、一路パリへ。やはり、まずはコペンハーゲンへ飛ぶ。
パリ行き
トゥルクからコペンハーゲン
 乗り継ぎで待ち合わせている間にも胸は高鳴る。勢いで、飛行機を眺めながらビールを一杯。
パリ行き
 10番ゲートの電光掲示板には、「SK559 パリ・ドゴール」との表示。
 機内のアナウンスにももちろんフランス語が含まれる。手元のモニタで航路を見ていると、ブリュッセル上空を越え、パリへ。降りる先はシャルルドゴール空港。
 妻よ、あれがパリの灯なのだよ。日中ではあるが。
 60 年代SF映画のようなデザインのターミナルを出て、あらかじめ手配していた車でピックアップ。ただ、このサービスは乗り合いなので他の人たちを別のターミナルで拾う。ここまでの期待をじりじりと裏切るように、ものすごく手際が悪い。空港を2周ほどする。これくらいならまだ許せる。
 運転手は別のグループを迎えに行った。だが、車道をふさぐような格好で駐車してしまい、後ろから来たバスが通れない。運転手は戻ってこないが、僕らはどうしようもない。居心地が悪いし、自分のせいでないにせよ後続の車の人たちに申し訳ない。
 このあともまたさらに同じ道を2周ほどした。あれだけ盛り上がっていたシャルルドゴール空港だから、気を利かせて何度も見せてくれたのだろうか。否、そうではあるまい。
 この迎えの車の手配も実は妻に内緒にして準備していたのだけれど、かえって仇になった。運転手と出会ってから1時間以上、空港の敷地を出ることができなかった。妻の機嫌が悪くなってくるのが目に見える。嗚呼。
 結局僕らの他に乗ったのも全て日本人だった。うちの一人は非常にパリに慣れているらしく、同行者に対しあれこれと説明をしている。僕はそれをこっそり聞きながらタイ語に直して妻に伝える。オペラ座の前を通る、遠景にエッフェル塔が見える。だが街全体は、なんだかかさかさとしていてほこりっぽい感じがしている。
 これまでの旅の経験から、始めて足を踏み入れた街に対しての第一印象からすると、決して「当たり」の匂いがするわけではなかった。いや、むしろ、事前の期待があったから容易には認めたくはないものの、「これはちょっと、な」という気持ちの方が強い。
 ホテルはエッフェル塔の近く。こぢんまりしたと言うよりは、小さなホテル。年代物のエレベーターでがたがたと階上へ上がる。かなり狭い感じのする部屋だが、価格を考えると相当だと思った。パリには長めに滞在するが、観光、観光になり、宿は寝るだけだろうから、ある程度便利な場所で、最低限さえ揃っていれば良いと考えていた。後日振り返った結果論になるのだが、何も期待していなかっただけ、むしろここは良い場所だったという印象を持つことになるのだが。
 部屋に荷物を置くと、さっそくに外に出る。既に夕方を少し越えた時間なので、まずは食事。
 ガイドブックのお薦めに従うという選択をした上でなお、数があまりに多すぎて検討もつけられない。「わたしは事前に細々考えるの得意ちゃうから、旅行のアレンジはあなたに任せる」と言っていた妻だが、パリの分だけはタイ語のガイドブックを買っていた。その本で紹介されている一軒に興味を持ったのでそこへ行く。
メトロ
 最寄りの地下鉄駅は「陸軍士官学校駅」。この駅も、線路にゴミが散乱していたり、電気の配線が剥き出しだったり、決してきれいな印象は受けない。
 車体も古く、蛍光灯の光が寒々しい。運転は荒っぽく、がたがたごとごと。次第に落ちていく気分を、なんとか食事にありつくまではもたせようと努力をする。
 妻が選んだレストランは、モンマルトルにある「シャルティエ」という店だった。
シャルティエ
 「200年以上の歴史を持つ(1989年改装)、有名な、そして財布に優しいレストランです」「往事の趣を伝えています」「そもそもは低所得者向けでしたが、現在はパリの中間層がよく利用しています」といった記述を読むと、喧噪や活気に満ちた、いい意味でごちゃごちゃっとした店のような気がする。
 少しだけ並んで、威勢よく席に案内される。エスカルゴ、馬肉のタルタル、鯛のグリル、それからハウスワインの赤を頼む。
 美味しいわけではないが、店の雰囲気は悪くなく、全体として、まあ、こんなものかという感じよりは少し上のところ。空港到着から下がりっぱなしだった期待感が、ほんの少しだけ持ち直す。
エッフェル塔
 ホテル最寄りの駅まで戻るが、そちらとは違う方向へ歩く。向かう先はエッフェル塔。芝生がずっと敷かれた公園の向こう、ライトアップされた塔は、ちょうどフランスのEU議長国就任を記念して、EUの旗の色にちなんで全体が青い。
 少し肌寒いけれど、人出はさすがに多くて、しかも芝生の上で酒を飲んでいる人たちもよく見かける。
 よくできたもので、「ワインいらない?」と瓶を売って歩いている人たちがいる。
 そして時刻は午後11時を迎える。シャンパンフラッシュと呼ばれる、白い照明が塔の全体で明滅を繰り返す。実はこれに合わせてエッフェル塔へ来れるように時間を見計らっていたのだ。 青い塔に白がきらきらして、なかなかの見物。
 塔の見えるカフェで一杯だけ飲んで初日を終えた。明日はいよいよ観光だ。


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