パリ、めぐり続けて
パリも3日め。やはりパリだと思う。主要な観光地を回るだけでも、一日ではとてもではないけど足りない。
今日は観光バスの日。二階がオープンになっている、ロープン・トゥールというサービス。主要観光地をめぐる4路線があり、乗り降り自由。アナウンスも七カ国語が用意されていて、慣れない観光客のためにはもってこい。
宿の最寄りの停留所はエッフェル塔すぐ。一日乗り放題のチケットを求め、いそいそと2階席へ上がる。日差しはそれなりに強いが、暑くは感じない。むしろ建物の日陰に入ると涼しさを覚えるくらいだ。
陸軍士官学校、アンヴァリッド。シャンゼリゼ通りをかすめたときに、「ル・ノートル」というケーキ屋を見かけた。バンコクにもいくつか支店があり、たまに利用する。それから、一度、池袋の西武でも見かけたことがある。ここが本場なのだ。見知ったものに出くわすと、無性に嬉しくなる。
コンコルド広場、マドレーヌ教会。オペラ・ガルニエ、ルーブル美術館、シテ島、ノートルダム大聖堂と、だいたい昨日徒歩でがんばったルートをたどり、セーヌを渡ったフランス学士院前でいったん下車。
よき夫としては、やはり今日も妻を甘い物の店へ連れて行くのだ。
マカロン。すかすか、もふもふして、あまり美味しい食べ物として認識したことがなかった。これも、何かあればしょっちゅうパリに遊びに来ている妹から、「パリで食べるマカロンは別格」と聞いていたので、老舗のお菓子屋さんだというラドュレという店へ。
店の内装は、アヴァンギャルドな中華の雰囲気。妻はカラフルなマカロンが4つ乗ったピスタチオアイスクリーム。僕はおとなしくコーヒーだけ頼んで、彼女のものを少し分けてもらう。
幸いにして気に入ったようだ。店内で食べただけでなく、ちょっとしたどら焼きくらいはあるサイズのマカロンなんかを買って、さらにかじりながら歩く。ただ、個人的には、やはりあまりどうとも思えないお菓子だという認識が変わることはなかったのだが。だが、妻の気に入ったことで良しである。
そのまま徒歩でオルセー美術館。建物はかつて鉄道駅だったそうで、細長いドーム状で非常に大きな時計もかかっている。
興味が(さほど)ない以前に、素養が(まったく)欠落しているため、「ああ、この絵はどこかで見たことあるね」という程度の感想しか出てこないが、まあ、とりあえず一渡り見て回る。
ドガの「14歳の踊り子」の彫像の表情が、共通の友人の表情にそっくりで、一番盛り上がったのがそこだというのも、考えてみれば情けない話ではあるが。
館内の5階のカフェで、これまた別段の印象も残さないキッシュを遅めのお昼ご飯として胃に収め、屋上で景色を眺める。眼下にセーヌが流れ、対岸にはルーヴル。セーヌを行く観光船は今日もいっぱいの人だ。
ソルフェリーノ橋を渡って今度はオランジュリー美術館。
モネの「睡蓮」が何よりの見物で、ここは柔らかな外光を取り込む建物構造になっており、ルーヴルやオルセーのようながっしりとした建物ではないため、圧迫感を感じることなく素直に鑑賞できる。実にここにいたって、ああ、パリの美術館というのはよいものだとの思いを持った。
コンコルド広場で再びロープン・トゥルールのバスに乗り、シャンゼリゼ通りを一路凱旋門方面へ進む。
リドの前の停留所で下車し、大通りを渡る。妻が「パリで絶対ここには行く」と宣言していた店がそこにある。LとVのブランドの本店である。
僕は観光地の一つを見に来たくらいのつもりでいるが、妻のはしゃぎっぷりは見ているこちらも嬉しくなるほどだ。
実はもうこの3、4年ほどずっと新しい財布が欲しい思っていて、ことある毎にデパートやあるいはあちこちの空港の免税店などをのぞいてみるのだけど、どうもピンと来るものがない。
2001年に香港の免税店で買った、この上なくシンプルな財布が、そのシンプルさと小銭のスペースのたっぷり加減と、日常使いにちょうどよい数のカード入れとが、僕の好みと必要性にこの上なく一致していて、見た目はへたってきていてもなかなかに買い換えようという気になるものに出会わない。
妻は「今回こそは買ってあげる」と言ってくれている。嬉しい気持ちはあるものの、恐縮もある。いくらするのか想像もつかない。それに僕はルイヴィトンには中立から少しネガティブに振れた興味しか持っていない。
「せっかくの新婚旅行やねんから、自分の買いたいカバンでも何でも買ったらええやん。多少やったら僕も出すで」と水を向けてみるも「旅行費用をずいぶん負担してもらってるから、私のもんはええねん」と殊勝な返答。
だが、タイミングが良いの悪いのか、新しいコーナーがちょうど開いた日に当たり、対応してくれる店員がつかまらない。しかも外では入場制限まで始まっている。
「待たされてまでここにいたいとは思わん」というしごく真っ当な彼女の意見に僕も同意して、店を一回りだけして出てきた。
ところで、ここで見かけた中東系の父子の一幕が印象的だった。いかにも裕福な感じのお父さん。ビジネス用のカバンを探していて、店員が二つ示している。「こちらの方がお求めやすくなっております」と言った瞬間、10歳くらいの息子が横から怒った声で「僕のパパには値段なんか関係ないんだ!」
僕もそういうパパが欲しかったなと思う。
さて、気を取り直して凱旋門。高いところがあれば上っておくべきなのだ。ここもミュージアムパスの適用対象。
シャンゼリゼ通りの下をくぐって入り口へ。284段、全部で50メートルある螺旋階段をえっちらおっちら。ここにいくつか展示があって、さらにもう少々階段を上って展望部分に出る。
よく聞く話だが、確かにここを起点に放射状に大通りが延びている。日本の都市計画からすると、ずいぶんと変わっていておもしろい。
ここで妻が奇声を発し出した。呼吸がおかしいのかと思って少々焦る(以前一度、山手線の中で過呼吸に陥ったことがある)
だが、よく耳を澄ませてみるとどうも「ちゅぱー・ちゅぱー」と言っている。
「どないしたんや? 気分悪いんか」と問うてみると、「もう、ほんま分からん人やな! チューしようって言ってんのに!」と怒り出す。
やはり、人はパリに来るとキスをしたくなるものなのか。
僕はしかし、そのロマンティックな要求に応える前に、「身体に異常をきたしたか!?」という推測と、妻が実際に発していたメッセージの意味とのギャップに耐えきれず、その場にしゃがみこんで腹を抱えて大笑いした。
たぶんこの件は、一生言われ続けるに違いない。
50メートルの螺旋階段を下る。薄暗いところで狭い半径をぐるぐる回っていると、軽く酔ったような感覚になる。
バスでシャンゼリゼを戻り、シャイヨー宮からエッフェル塔の全景を見る。ユーロの星マークが丸く取り付けられている。
宿に戻る途中、缶ビール(ヒューガルテンの缶があった)と、妻は赤ワインの缶(缶のワイン!)を買って帰り、宿で一休み。
さて夕食はどうしようかと思ったけれど、二人して共通の見解に至った。
このホテルに到着したとき、路地すぐに賑わっている小さなレストランがあった。道端にもテーブルが出て、いかにも楽しげな雰囲気だった。ガイドブックを頼って出かけた先は、選択がよくなかったのか、単に運が悪かったのか、二晩とも「そこそこだけで、決して印象的でもない」という店だったので、まあとにかく今日はそこに行ってみようや、ということになった。
フランス語で「ご予約ですか?」とおそらく聞かれた。「レゼルベシオン」と聞こえたからだ。何を思ったか、僕の返答はフランス語で発せられた「ノン」だった。
席に案内されメニューが届けられる。全てフランス語だ。ああ、僕の能力を発揮するチャンスだと思い、脂汗を垂らしながら解読を試みる。
その様子を察した先ほどの店員が「英語メニューの方がよろしいですか?」と英語で聞いてくれた。「イエス、プリーズ!」
かかなくて良い恥を妻の目の前でかいた。
自家製のフォアグラのパテも、リンゴと豚のブラックプディングも勢いがあって美味しかった。まだ明るさの残る中、ハウスワインの赤を飲みながら、ようやくちょっと美味しいと思えるレストランに出会えたことに二人ともはしゃぐ。
夜の散歩はやはり青いエッフェル塔。
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